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カテゴリー:食育コラム

田村建設様の情報誌に

田村建設様の情報誌「げんき」になす食育だよりとして、食育コラムを掲載させていただいています。4月号の原稿を送ったところです。   今年ほど春の待ち遠しい年はありませんでした。昨年の大震災に追い打ちをかけるような厳冬。我が家の花たちも咲くのを忘れたように、福寿草だけがひっそりと咲いています。その分、一気に花の季節がやってくることを待つことにしましょう。 春といえば、食べ物も楽しみな季節。お彼岸のおはぎ、旬のたけのこご飯、お節句には柏餅などなど。その季節にしか食べられないものばかりで、子ども心にも楽しみだったのを思い出します。今はこれらの物が1年中売られています。季節感などどこへやら。こんなことを思うのは私だけでしょうか。 おばあちゃんといわれる私たちの年代の方々、お孫さんのために時には季節の行事食を手作りしてあげませんか。お孫さんに美味しさの記憶として残るに違いありません。 そうだ、今度のお彼岸には一緒におはぎを作ることにいたしましょう。

本来食育とは

体験館"TRY"TRY"TRY"館長の人見みゐ子さんの講演を聴く機会がありました。 人見さんは酪農経営のかたわら、平成11年に体験館をオープン、他にも県女性農業士、数多くの海外研修等バイタリティあふれる女性です。私と同年代の人見さん、地元のこんなすごい女性を今まで知らなかったことに少し反省。 4人の娘さんには高校2年生になると順に家計を任せたのだという。決められた食費でやりくりして、余れば娘さんのものになり、足りない時は自分の貯金やアルバイトで補うのだそう。驚きのルールだ。当然娘さんたちは、安くて美味しいものを見極める目と、家族のために美味しく料理する技を自然と身につけていったはずだ。まさに究極の食育であろう。 私たちが育った時期・・・みんな等しく貧しい時代だったが、ちゃぶ台を囲んでそこには、貧しくても心豊かな食卓があった気がする。そこで食事のマナーやもったいない精神等を厳しく躾けられたものだ。食事に文句を言おうものなら、「食べなくても良い!」とご飯にありつけないことも。 核家族化、共働きの増加、コンビニの台頭等、時代の流れとは言え、いつ頃から家庭からちゃぶ台が消え、日本の食卓も様変わりしてしまったのだろうか。こう考えた時、私たちの年代の責任は少なくないと思う。 本来食育とは家庭が担ってきたし、これからもそうあるべきだと思うのだが、お国が声高に「食育」を唱えなければならないほどの時代になってしまったということか。 人見さんも言う。「食育とは、親から子へ孫へ、生きていく術を教えること」と。 今からでも遅くはない。私たちばあちゃん世代の頑張り時ですよ。  

食育の原点

一昨日は地域で若者支援を続ける「明日葉村」とのコラボ。「お手軽おやつ3種」を作りました。 村長の大槻さんは当法人の理事もお願いしている関係から、若者支援の一環として私たちも係わることになったもの。社会適応や自立を目指す彼等にとって、料理をするという体験、そのプロセスがとても有意義なことだということです。 包丁を手にしたことのない青年、1㎝の角切りにパニックを起こす少女、食べることに興味はないと言い切る青年を前に常識的な料理教室では通用しないことに第1回目から気付かされることに。それぞれのそれまでの育ち方や食環境、今抱えている事情等に寄り添う覚悟が必要なのだと改めて考えさせられた次第です。 彼らが自分一人ひとりの目標を立て、それに一歩でも近づくためのお手伝いができて、最後に達成感を味わってもらえたなら私たちの活動も本望というものでしょう。たとえば、リンゴの皮がむけるようになり、楽しく物をたべることができるようになれば、その時彼らも何かが変わるのではないでしょうか。 「あなたの 体は あなたが 食べたもので できている」 これは某食品会社のCMですが、自分で何をどのように食べるかの「技」を身につけることがまずは第一歩だということを彼等には気付いて欲しいと思います。 彼等を見ているとまさに、そこにこそ食育の原点があると思えてきました。      

おせちに思うこと

今年もいよいよ・・・ 年末恒例のお正月準備。まず、28日に餅つき。去年までは義母が手伝ってくれていたのだが、今年からは当てにできずすべて一人でしなければならないことに。自分では結構器用な方だと思うのだけれど、お供えを丸めるのが大の苦手で、これは義母の役目だったのでした。何とか義母に褒められるお供えができました。(ホッ) 昨日からはおせち作り。 煮豆(黒豆、金時豆)、ぜんまい煮、きんぴら、昆布巻き、なます、松前漬、豚角煮、これらの他に今年は栗きんとん、伊達巻、錦玉子も手作りしてみよう。これらの材料を揃えたら、おせちを買った方が安上がりかも知れないなどと思いながらも、やはり頑張ってしまうのです。 昆布巻きは亡き母の得意料理で、実に絶品だったのを思い出す。庭先のかまどで薪を焚き一日中コトコト炊くのだから美味しくないはずがない。母が逝って9年になるが、まだまだ母の域には達していない。あの昆布巻きをもう一度食べてみたいとそう思う。 私が作るおせちも、子どもたちや孫たちからそう思われる時が来るのだろうか。などと思いながら二日間立ちずくめでパンパンの足腰を揉んでいると、今年ももう1時間と少しになっていたのでした。               あまりにもいろんな事があり過ぎた1年でした。被災された皆さまにも心穏やかな日常が一日も早く訪れますようお祈りいたします。お世話になった皆さま、どうぞよいお年をお迎え下さい。  

風物詩

知人から渋柿のハチヤをたくさんいただいたので、早速干し柿作りに挑戦。 さて、皮を剥いて干すということは知っていても、実際にやるのは初めてなのです。と言うのは、このような細かい作業はこれまで義母の役割だったのでした。私に暇ができたことと併せて、義母が高齢のため順送りで私の仕事と相成った次第。 まずはネットで調べてみることに。 剥いた柿を熱湯に10秒ほどつけると青カビが生えにくいらしい。(ふむフム、なるほど) 気温もあまり高いとまずいし、なかなか結構難しいということが改めて判明。 とりあえずベランダの物干し竿につるして一段落。「寒くなれ!風よ吹け!」と・・・ 折しも今日は立冬、冷たい風も吹いていて干し柿には絶好の気象条件か。あとは干しあがるのを待つだけなのだが、敵はまだいる。仕上がるころになると決まって鳥(カラスか?)がつつきにやってくるのだ。 今のようにお菓子が豊富でなかった時代の、貴重なおやつのひとつだったのだろう。他に干し芋やお供えのお餅を砕いたかきもち等を思い出す。一工夫を惜しまず家族に美味しいものを食べさせるという、昔のおばあちゃんやお母さんの思いに気持ちを馳せたひと時でした。    

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