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2012-03

明日葉村餃子教室

明日葉村第2回目の教室は餃子! 餃子を嫌いな人はいないはず。楽しい教室になるといいな。 刻む、こねる、包む、焼くの作業を参加者全員がひと通り体験。キャベツのみじん切りに最初は手こずっていた人も、終わる頃には結構様になっていました。   包み方もいろいろ。苦労している人、上手に形作る人、さまざまな形だけれど120ケの餃子が包みあがりました。             焼く作業は、フライパンの調子がいまいちでちょっと焦り気味。焦げ付いて剥がすのに苦労する場面も。熱いフライパンを怖がり、水をさせなかった子も、何とかクリアでき満足げでした。 フライパンに苦労しつつも何とか焼きあがり、いよいよいただきます!もやしのナムルはおまけ。   ちょっと不格好でも、自分たちで作った餃子の味は格別。参加者のお腹にすべて消えました。少しづつ、焦らず、一歩づつ何かを掴んでいってくれればと思います。  

本来食育とは

体験館"TRY"TRY"TRY"館長の人見みゐ子さんの講演を聴く機会がありました。 人見さんは酪農経営のかたわら、平成11年に体験館をオープン、他にも県女性農業士、数多くの海外研修等バイタリティあふれる女性です。私と同年代の人見さん、地元のこんなすごい女性を今まで知らなかったことに少し反省。 4人の娘さんには高校2年生になると順に家計を任せたのだという。決められた食費でやりくりして、余れば娘さんのものになり、足りない時は自分の貯金やアルバイトで補うのだそう。驚きのルールだ。当然娘さんたちは、安くて美味しいものを見極める目と、家族のために美味しく料理する技を自然と身につけていったはずだ。まさに究極の食育であろう。 私たちが育った時期・・・みんな等しく貧しい時代だったが、ちゃぶ台を囲んでそこには、貧しくても心豊かな食卓があった気がする。そこで食事のマナーやもったいない精神等を厳しく躾けられたものだ。食事に文句を言おうものなら、「食べなくても良い!」とご飯にありつけないことも。 核家族化、共働きの増加、コンビニの台頭等、時代の流れとは言え、いつ頃から家庭からちゃぶ台が消え、日本の食卓も様変わりしてしまったのだろうか。こう考えた時、私たちの年代の責任は少なくないと思う。 本来食育とは家庭が担ってきたし、これからもそうあるべきだと思うのだが、お国が声高に「食育」を唱えなければならないほどの時代になってしまったということか。 人見さんも言う。「食育とは、親から子へ孫へ、生きていく術を教えること」と。 今からでも遅くはない。私たちばあちゃん世代の頑張り時ですよ。  

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